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読書歴

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2011年12月18日 (日)

大宰府歴史散歩 続編

大宰府歴史散歩続編

榎社  西鉄二日市駅から福岡方面へ少し行った沿線沿いに榎社がある。菅原道真が左遷された配所)「府の南館」跡とされている。現在は大宰府天満宮の飛地境内榎社となっており、神幸式(9月22日夜神輿が榎社に駐輿し、翌日天満宮へ還御する)が秋の風物詩となっている。鉦や太鼓の音がどんかんと聞こえることから、神幸式の通る道は「どんかん道」と呼ばれている。境内には九月十日という菅原道真の詩碑が建っている。    「去年今夜侍清涼秋思詩篇独断腸恩賜御衣今在此捧持毎日拝余香」  ちなみに梅ケ枝餅のルーツは配所の道真公を慰めるため近くに住んでいた浄妙尼というお婆さんが作って差し上げた餅といわれている。浄妙尼を祀った小社も境内にある。    最近すぐ近くで大宰府客館跡と思われる遺構が発掘された。

国分寺・国分尼寺   藤原広嗣の乱の後聖武天皇が全国に国分寺・国分尼寺建立の詔が出され、筑紫国分寺も建立された。現在は当時の国分寺・国分尼寺ともに礎石が残っているのみである。国分寺は明治時代に真言宗の寺として再建されている。近くには国分天満神社があり、境内には山上憶良の『大野山霧たちわたるわがなげく息嘯の風に霧たちわたる』の万葉句碑があります。
09910fh010011m3_hexanon50 国分寺跡です。
09910fh010014m3_hexanon50 国分天満神社です。
09910fh010013m3_hexanon50 山上憶良の万葉歌碑です。
武蔵寺      長者の藤とよばれる大藤が有名である。孝徳天皇の頃、いまの二日市駅付近に住んでいた登羅麻呂という長者が付近の山で出る怪火を退治に出かけ、矢で怪火を射たところ命中し、調べると点々と血が落ちていて、それを辿っていくと椿の巨木がありその中心に矢が刺さっていた。その夜夢枕に薬師如来が現れ、この椿で薬師如来を刻み仏教を信じなさいと告げた。彼は薬師如来と十二神将を刻み、天拝山の麓に一宇を建ててこれを拝んだ。壬申の乱の時、登羅麻呂は軍功を立てて虎麿将軍と呼ばれるようになった。虎麿物語はこのように椿花山成就院武蔵寺の由来を書いている。開基は白鳳2年(674年)とされている。この登羅麻呂が初代の大宰師の蘇我日向ではないかという説もある。平安時代には全国に知られ、今昔物語、宇治拾遺物語、梁塵秘抄などにその名が見える。いずれにしても九州最古の寺である。   又、登羅麻呂は薬師如来に祈って娘瑠璃姫を得た。瑠璃姫が病気になった時に祈って、吹田の湯(今の二日市温泉)を発見したという伝説もある。 隣には菅原道真公を祀った、御自作天満宮と無実の罪をそそごうと禊をしたと言われる紫藤の滝がある。
09315fh000007gr1s 武蔵寺の山門です。
051016 武蔵寺の本堂です。右側に見えている藤棚が長者の藤です。
10410fh000027m3hexanon50 正面が紫藤の滝です。右手の階段を上ると御自作天満宮があります。
天拝山 武蔵寺のすぐ後ろの山で標高258mである。菅原道真公が無実を訴えるため幾度も登って天を拝したとのことから天拝山と名付けられたという。古名は天判山という。毎日登る人も多い。登山道はメインの道は最後の階段がきついだけで登りやすい。別に御自作天満宮の横から登る細い登山道がある。ここには道真公の詩を書いた道標が作られており楽しい道である。実際には道真公は幽閉されていたので、ここまで来た事はないと思われ、いつとはなく作られた人口に膾炙した伝説である。 天拝山の麓、武蔵寺のまえには天拝公園という広場があり、猫が沢山いる。
10410fh030008m3hexanon50 天拝山山頂です。
10410fh030010m3hexanon50 山頂の菅原神社には秋思の額が奉納されています。
二日市温泉(吹田の湯) 武蔵温泉とも呼ばれていた。鷺田川沿いに温泉旅館や銭湯がある。由緒は武蔵寺のところに書いたとおりである。大宰師大伴旅人が瘡を病んで苦しんだ時この湯で湯治して快癒したそうである。旅人は赴任して間もなく妻大伴郎女を亡くし、『湯の原に泣く蘆鶴はわがごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く』といううたを残している。現在は銭湯として『博多湯』と『御前湯』が残っている。博多湯は万延元年の創業で、木造3階建ての風情のある温泉である。入浴料は300円。御前湯は江戸時代黒田藩主のための湯であったが明治以後は公衆浴場として一般に開放された。現在はその由緒ある名を市営共同浴場が継承し平成20年にリニューアルされ広くて綺麗になっている。入浴料は200円。

  四王寺山(大野城) 白村江の戦いで敗れた後、水城、基山、鞠智城などとともに築城された。現在は四王寺山と呼ばれ、県民の森として親しまれている。標高350mから410mの所に土塁が築かれており、気持ちの良いハイキングコースとなっており一周できる。途中百間石垣など石垣も残っている。土塁と石垣に囲まれた中に八ヶ所から約70棟分の礎石が見つかっている。これは役所や倉庫跡と考えられており、防衛的な城であった。頂上付近には東に持国天、南に増長天、西に広目天、毘沙門天という地名が残っており、現在は毘沙門天を祀る社がある。登山口は大宰府政庁跡から登るルート、太宰府天満宮に近い水瓶山からのルート、大野城からのルート、岩屋城へ登るルートなどがある。
09104fh010012f3_55 四王寺山の百間石垣のすぐ横にある小さな滝です。
05515 四王寺山の土塁から太宰府インターを望む。
05515_2 毘沙門天にあった石仏です。
061028fh000006fm2_55 四王寺山頂にある礎石です。
岩屋城 戦国時代には四王寺山の一角に大友宗麟の幕下・髙橋紹運(立花宗茂の実父)がここで島津の大軍と戦い760人あまりの兵で14日間守り抜き、最後は全員が討ち死にした。しかしこのおかげで豊臣秀吉が間に合い、島津軍は敗退した。
09910fh000021gr1s 大宰府政庁跡から見た四王寺山です。ちょうど右肩のあたりが岩屋城跡です。

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太宰府歴史散歩を手がかりに、いつか歩いてみたいと思います。坂と階段は苦手ですが、杖持参で行ってみましょうか。

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